大叔父と 浪曲を語る

大叔父の家に行ってお酒をご馳走になって来ました。
大叔父は、私の母方の祖父の弟で八十五歳。
元は大工の棟梁で、若い時から趣味で新内を語っている粋な人です。
私の浪曲もよく聞きにきてくれます。

浪曲に出てくる江戸ッ子の職人や大工さんを彷彿とさせる人です。八十を過ぎてもお酒が好きで、芸が好きで、まだまだ私なんかよりは色っぽい所もあります。
大叔父とお酒を酌み交わしながら、落語や講談、浪曲や新内の話、昔の話などを聴いているとすぐに時間が経ってしまいます。

大叔父の父親がまた大工で、浪曲浪花節が大好きでレコードも沢山持っていたそうです。明治二十年代の生まれだそうです。浪花節の成立は明治のはじめですので、二十年たったちょうどいい時期です。
浪曲中興の祖、桃中軒雲右衛門先生が世に出た時分は曽祖父は十代後半と思います。
曽祖父は「壷坂霊験記」の浪花亭綾太郎の浪花節が好きだったそうです。

私の祖父が印刷屋に奉公していた時に
初代篠田実の「紺屋高尾」が大ブームで、そのレコードの歌詞カードを印刷していたとか。
♪遊女は客に惚れたと言い〜
まだ幼さが残る年齢だった祖父は印刷作業をしながら唸っていたと聞いたことがあります。

大叔父からは
寄席で広澤菊春師匠の「竹の水仙」を聴いた話。
寄席の番組表に「伸」と書いてある上手い講談師。
家に帰って親父に話をしたら
「服部伸といって、元は一心亭辰雄という浪花節だったんだ」と教えられたそうです。

また、イイノホールの会で私の師匠の師匠、東家楽浦師匠の浪曲も聞いたことがあるそうです。

そして極め付けの話。
昔 大叔父の新内の師匠が、最近まだ若いんだけどいい声で上手い浪花節がいる、太田英夫というんだと言っていたそうです。
後の二代東家浦太郎。私の師匠です。
若い時から芸人の間でも噂になる人だったのだなと感心致しました。

私は二十代になってから浪曲を聞き始めましたので、家族の影響を受けて浪曲師になった訳ではないのですが、
やはりDNAの影響か、浪曲や芸能との縁は深い所で繋がっているのだなと思います。

また曽祖父、祖父、大叔父の時代で
浪曲浪花節の歴史が変わってきたことが実感できました。
浪曲を通して会ったことのない、曽祖父の存在も身近に感じられたのが嬉しいです。



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コメント: 2
  • #1

    亜津佐 (水曜日, 28 12月 2016 19:20)

    読んでいて、こういう不思議なご縁ってあるんだなっと感心しました。
    文字通り、一太郎さんは、浪曲師になるべくしてなった・・・運命だったのですね

    脈々と受け継がれて来た血縁とめぐりあわせは、神様のあやとりのようですね

    御曽祖父さまもきっと喜ばれていることでしょう

    益々、芸に打ち込めますね

  • #2

    一太郎 (木曜日, 29 12月 2016 14:26)

    亜津佐 様

    大叔父との話を忘れない様にブログに書かせて頂きました。
    身内の話で恐れ入ります。

    芸に打ち込んで、浪曲で縁を作って行ける芸人になりたいと思います。