「東家」 浪曲師の系図について 其の二

 

浪曲・浪花節の「東家(あずまや)」の初めは

初代東家三楽(さんらく)という方だったそうです。

 

その弟子が初代東家楽遊(らくゆう)。後に悟楽斎三(ごらくさい・さんそう)と名を変えます。

立派な髭を蓄えられたこの方が初代楽遊先生です。

SPレコードの音源や口演の速記本なども残っています。

お弟子さんが何人もいて、門下の大吉の弟子の小楽という人の芸に目を付け、二代目楽遊の名を譲ります。

この方が二代目東家楽遊先生です。

「勤王美談小松嵐」という新聞小説を浪曲化しまして、

このレコードが大ヒット。

♪殺さば殺せと 馬子のトキ

という節が大流行したそうです。

明治大正の頃の話です。。。

売れに売れて稼いだお金で、当時東京に30台位しか無かった自動車の内の3台を持ち、「楽遊自動車部」というタクシー会社まで経営されていたそうです。

今でもレコードの音源はいくつも残っていますが、

美声、名調子で、会話も面白く、

小松嵐の二代目楽遊、大名人というのが、よく分かります。

この楽遊先生、一世を風靡した方なので「御大(おんたい)」と呼ばれていたそうですが、お弟子さんが沢山いました。

私の師匠

二代目東家浦太郎の師匠であります

東家楽浦(らくうら)師匠は、楽遊先生の弟子にしてもらいに行った所、当時お弟子さんが沢山いた為、

先生の弟さんの小楽遊師匠の弟子ということになったそうです。

この師匠が東家楽浦師匠です。

寄席読みの名人と言われ、寄席でお客様が感心してしまう程、芸が上手かったそうです。

また、野口甫堂というペンネームで、

「野狐三次」「夕立勘五郎」などの連続物や、沢山の一話完結の浪曲の名作の台本を自ら書き、舞台に掛けて、それを弟子に伝えています。

楽浦師匠は、昭和53年にお亡くなりになっています。

私が生まれた年ですのでもちろんお会いしたことはございませんが、台本を通して、また師匠の話を通して、実際に会ったことがあるような気がしています。

師匠浦太郎は「夢でもいいから、師匠にもう一度会いたい」と仰っていますが、師弟の縁というのは、実に深いものだと思います。

 

ちょっとお長くなりましたで

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