粟船山、何と読むでしょうか?

北鎌倉アンダンスーさんの近くにあります常楽寺。
山号は粟船山と言います。
さて、クイズです。
音読みで何と読むでしょうか?
答えは
粟船山 ぞくせんざん
です。
読めた方は相当な博識な方ですね。
凄い‼︎
粟という字は「ぞく」と読むんですね。
何度聞いても覚えにくいです。

さて、この常楽寺というお寺は
鎌倉幕府3代執権 北条泰時が妻の母の供養の為に建立したそうです。
何という義理のお母さん想いの方なのでしょうか。見習いたいです(o^^o)
北条泰時のお墓も仏殿の裏にあります。

また境内の大きなイチョウの木は二度の台風と関東大震災の影響で傾き倒れながらも、不屈の生命力で今も生き続けています。

裏山には
木曾義仲公の子で源頼朝に人質に出された清水冠者こと義高公の塚がありました。
享年十二歳だったそうです。
五月の節句の後でしたので、塚の傍の木には小さな青と赤の鯉のぼりが掛けられていました。
頼朝の娘、大姫を妻にもらい、政略的な結婚だったのでしょうが、二人はとても睦まじい仲だったそうです。
近くには大姫のもの伝えられる塚もありました。
案内して頂かなければわかりにくい場所にある義高公の塚。
物悲しい、とても印象に残る場所でした。

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コメント: 2
  • #1

    亜津佐 (金曜日, 26 5月 2017 03:52)

    義高公は父義仲が打たれると、自分の身が危ないことを知ります
    妻だった大姫は、逃がすことを企てますが、義高は、捕えられ落命してしまい、大姫は病に伏せたそうですね

    仲睦しい夫婦だったことがうかがえます

    一太郎さんと美さんのように、二人三脚だったことでしょう

  • #2

    一太郎 (金曜日, 26 5月 2017 09:02)

    亜津佐様
    義高公と大姫について詳しく教えて頂きまして有難うございます。

    幼いお二人の睦まじさに心打たれますね。
    悲しい人生ですが、いつか浪曲にしてみたいなぁと思いました。