橘町の三次

野狐三次には
江戸の町の町名が沢山出てきます。

今は消滅した町名もありますが、
そこに長く住んでいる人にとっては大事な名前で、
どこかに残して大切にしているのを見つけることもできます。
今はインターネットですぐに調べられるので便利です。
またスマホアプリでも
江戸時代の地図と現代の地図を見比べられるものがあります。
「大江戸今昔めぐり」というアプリを、
都内を散歩したり、何かのついでに歩く時にたまに使ってみます。

さて、
野狐三次はどこへ住んでいたのか。

橘町に住まいする野狐三次
と台本にあり、
日本橋橘町に住居がありました。

橘町 たちばなちょう Tachibanachō
中央区東日本橋三丁目、日本橋久松町辺り
浜町川(堀)の東岸で汐見橋、千鳥橋が架かっていた。
本願寺が横山町にあった頃の門前町で、タチバナを売る家が多く、「立花町」としたが、後に「橘町」と改めた古くは松平越前守の邸地であったが、1683(天和3)年に町屋となり、一~四丁目を起立。

横山・橘通り共栄会という問屋商店街のアーケードに
「橘」という名が残っています。

浜町川、
今は緑道になっているようですが
また近くに行った際には歩いてみます。