大工のDNA

ブログの更新が滞っておりまして、
いつもご覧頂いている皆様、大変申し訳ございませんでした。
一日一節と
するように書いて参りますので
今後とも宜しくお願い申し上げます。

今日は
母方の大叔父の家に遊びに行って参りました。
大叔父は私の祖父の弟で八十代。
元大工です。
遊びに行ったのは、大叔父の話を聞くのが目的です。
母方のルーツと大工稼業の話、
これが沢山の不思議な縁で浪曲と繋がっています。

今年、野狐三次を連続読みでさせて頂いております。
三次は鳶職、に組の纏持ち町火消しですが、
養父礒五郎は大工であり、
礒五郎の兄弟子吉田屋吉五郎に三次は大工の腕を仕込まれます。
6月10日に赤坂の会で務めます大坂の巻では
大工としての三次の姿が出てきます。
そんな関係から
大工の大叔父にしっかりと聞いておきたいことがありました。

大叔父と私の祖父の父 久蔵は四ツ谷生まれで大工になり、
修業を積んでから道具箱一つを担いで横浜に仕事に行きます。
横浜の大工の棟梁の娘と結婚します。
その大工の棟梁 古川房太朗というのは私からしますと曽曽祖父になるのですが、明治元年の生まれ。
鎌倉の大工で、
まだ港が出来てそれほど経たない横浜に出てきたそうです。
いつもお世話になっている鎌倉に自分のルーツがあったのにも驚きました❗️

不器用な私に大工の血が流れているのは、何とも信じられませんが、
父方も信州伊那で大工の家系だったそうで、
不思議な縁と思います。

大叔父は随分前に大工は引退しておりますが
話に聞く職人の腕と心意気を
浪曲の中で永遠に語り継いで行けるように勉強して参ります。

他にも色々面白い話がありますが
別の機会にブログに書きます(o^^o)

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コメント: 2
  • #1

    亜津佐 (土曜日, 21 4月 2018 04:49)

    浪曲、落語は語り継がれて来たもの
    一太郎さんの大工のDNAは、血液や細胞が受け継いできたもの
    不思議なご縁、ありがたいご縁ですね

    もしかしたら、三次はどこかの普請場で久蔵さんや房太郎さんとご一緒かすれ違っていたかも??
    そんな想像すると三次の語りも楽しくなります

    それに房太郎というお名前・・一太郎さんと同じ太郎続き
    そして鎌倉へとのつながり、房太郎さんは
    洞門をご存知だったかもしれませんね


  • #2

    一太郎 (土曜日, 21 4月 2018 11:51)

    亜津佐 様

    いつもコメントして下さいまして本当に有難うございます。
    浪曲、講談、落語などの話芸は
    今生きている私たちと深く繋がっていることを感じます。
    不思議です!
    どこかの普請場ですれ違っていたかもと想像すると面白いですし、人物も生きてきますね。
    良いことを教えて頂きまして有難うございます。
    名前の不思議もあり、鎌倉とのご縁も本当に不思議です。
    亜津佐様仰るように
    洞門の尾根も知っていたかもしれないです(o^^o)