伊丹秀敏師匠訃報に際し東家美より

12月24日、師匠が旅立ちました。

師匠の御顔を見るまでは、実感が湧きませんでした。
亡くなった翌日、師匠に逢いに行きました。
穏やかに眠っているような、まだ普段着のままで、安らかな御顔でした。
品があり神々しくすら感じました。
師匠の手をぎゅっと握りました。
師匠への思いが溢れて、涙が止まらなくなりました。

それから、涙腺が壊れてしまったかのように、ふとした瞬間に涙が止まらなくなります。
これは、二度と逢えない辛さもある。
でもそれ以上に、今まで師匠から頂いた情がいかに身体奥深くまで沁み込んでいるか、これほど愛情深く育てて下さったことへの深い感謝の温かい涙です。

師匠を思うと、微笑みながら涙が溢れます。
それくらい心優しくて温かくて、お茶目な大好きな師匠でした。

浪曲が大好きで、
木馬亭へ楽屋入りしてくるとき、唸りながらいらっしゃるのですぐわかりました。
バスでも電車でも、いつでも浪曲を唸っていました。
どんなときも時間があれば、ずっと浪曲と三味線の手を教えて下さいました。
師匠の口三味線も名人級です。

『みんなが上手にならなきゃ駄目たいね』

誰にでも分け隔てなく、出し惜しみなく浪曲を教えて下さいました。

師匠は、浪曲師 浜乃一舟としても、ご活躍されました。
お兄様の伊丹秀夫師匠が相三味線を長年務められ、歌舞伎座の舞台へも上がられたそうです。

そんな師匠が、まだおぼつかない手の私を、浜乃一舟の相三味線にして下さり、ご自身の節で鍛えて下さいました。
厳しく、優しく、丁寧に何度でも教えて下さいました。
お陰で、関東節も関西節も務めることが出来るようになりました。

今の私がいるのは、師匠のおかげです。
あがり症で、人前に出ることが何より苦手だった私を、三味線に触ったことがなかった私を、一から育てて下さいました。

『あなたなら大丈夫』

師匠の愛情が温かすぎて、自分が弾けなさすぎて、ボロボロ涙を流しながらお稽古した日々が、今に繋がっています。

師匠、本当にありがとうございました。

昨日、秀敏師匠の初七日でございました。
今頃、伊丹秀子先生やお兄様の秀夫師匠、浦太郎師匠との再開を喜び、思い出話に花を咲かせている頃でしょうか。

私のお三味線は、これからも常に師匠の想いと共にあります。

師匠から真心込めて教えて頂いた大切な芸を、益々切磋琢磨し、感謝の想いと共に、生涯をかけて勉強し続けて参ります。

皆様、今後ともご指導ご鞭撻の程何卒宜しくお願い申し上げます。
どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。

2025年12月31日
伊丹秀敏門下 東家美 拝